スピリチュアルについてリサーチしていると、「スピリチュアルに出会って願いが叶いました!」という方の声がチラホラと見受けられます。
確かに世の中にはそういった方もいるかもしれませんが、だからといって「スピリチュアルで願いが叶う」と短絡的に考えてしまうのはとても危険です。
スピリチュアルで願いが叶うことも確かにあるのですが、その本当の意味というものを理解していきましょう。
スピリチュアルで願いが叶うの誤解
「スピリチュアルで願いが叶う」ということに対して、誤解している方はとても多いです。
例えば、自分の守護霊様が考えたことを全部実現させてくれるという風に考えている方もいれば、一生懸命に祈ることによって神様がすべての願いを聞き入れてくれるという風に考えている方もいるかもしれません。
仮にスピリチュアルで本当にすべての願いが叶うのであれば、誰もが満たされた生活を送っているでしょうし、世界中で起こっているさまざまな争いもなくなっているでしょう。
そういう都合のいいものとしてスピリチュアルを求めてしまうのは違います。
もし目に見えない何かがすべての願いを叶えてくれるのであれば、その分の対価を求められてもおかしくありません。
実際に、世の中には自分の欲望のままに願いを叶えようとしておかしなものを呼び出してしまって、その後の人生をそのおかしなものに囚われてしまうようなケースもあります。
誰かに心酔してしまってその人の言いなりになってしまったり、宗教に振り回されてしまったりするのも結局のところでは同じようなものです。
スピリチュアルは何でも願いを叶えてくれるような都合のいいものではありません。
この点は誤解しないようにしていきましょう。
スピリチュアルではその人にとって必要な願いが叶えられる
先でもお話しましたように、スピリチュアルはすべての願いを叶えてくれるような都合のいいものではありません。
しかしながら、その一方で「スピリチュアルで願いが叶った」という方は一定数確実に存在します。
それはなぜなのでしょうか?
その答えはとてもシンプルです。
というのも、その人にとって必要な願いが叶えられたというだけのことなのです。
例えば、その人が学問の分野で活躍できる人、学問の分野で活躍すべき人で、本人もその道を望んでいる場合には目には見えないもののサポートがあって、その道が切り開けるということもあるでしょう。
逆に、その人が学問の分野で活躍できる人、学問の分野で活躍すべき人なのに欲望のままに娯楽のほうに走ってしまうのであれば、目には見えないもののサポートも期待できません。
その人にとって本当に必要な願いに対してその人が十分なことをしていた場合、目に見えないもののサポートが働いて願いが叶うのです。
スピリチュアルで願いが叶ったと喜んでいる方の中には、そういった方が多いと考えられます。
スピリチュアルは魔法ではなく人生を豊かにしていくための考え方
何度も言うようですが、スピリチュアルは何でも願いを叶えてくれるような魔法ではありません。
魔法だと思ってスピリチュアルの世界に飛び込んでしまうと、「全然願いが叶わない!」とお門違いの発想のままスピリチュアルを嫌いになってしまうかもしれません。
そうなってしまっては、せっかくのスピリチュアルを活かしていくことができません。
スピリチュアルというのはあくまでも人生を豊かにしていくための考え方です。
公式を知ることによって問題が解けていくように、スピリチュアルを知ることによって人生がより生きやすく豊かなものになっていくのです。
そのためにも、スピリチュアルを都合のいいものとして解釈するのではなく、正しく理解して日々の生活に取り入れていくことが大切です。
スピリチュアルを正しく理解するようになると、日々の生活の中で「あ、これはご縁が働いたな」「お導きがああったんだな」と気付くことがたくさん出てきます。
自分自身で気づけるようになると、人生はよりよい方向へと進んでいくようになるでしょう。
映画やドラマ、アニメや小説など創作物の中での魔法のようなものを求めるのではなく、現実を生きていく上でスピリチュアルをどう活かしていくかを考えていくようにしたいところです。
特に、今は新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって現実逃避したくなってしまう気持ちもあるかもしれません。
ただ、こういう時代だからこそスピリチュアルな視点で現実をしっかりと見据えていく必要があるのです。